水戸芸術館とはAbout Art Tower Mito

©Shintaro Shiratori

水戸芸術館館長
小澤征爾

音楽、演劇、美術を
身近なものに

 今から約20 年前、吉田秀和先生が当時の佐川市長から運営を任されてこの芸術館を創る時に、吉田先生が私を鎌倉のご自宅に呼んで、室内管弦楽団を組織したいとおっしゃり、つくり上げたのが水戸室内管弦楽団です。それ以来ずっと、ここのコンサートホールで仲間たちと演奏を続けてきました。

続きを読む

 まず、水戸芸術館の開館と同時に、水戸室内管弦楽団ができあがった、そのことが素晴らしいことだと思いました。ここが開館した1990 年頃、全国各地にホールができましたが、ほとんどが貸しホールみたいなものになっているという状況の中で、建築家の磯崎新さんや照明家の吉井澄雄さんがいて、美術も演劇もやるということで、非常にユニークなことを水戸はやっているという印象を持っていました。
 今回吉田先生の後の館長をお引き受けした理由は、定期演奏会の度に水戸を訪れる中で、水戸室内管弦楽団が市民の皆さんに支持されて、愛されているということが分かり始めたためです。私は、音楽は人が生きる上で絶対に必要なものだとは思いませんが、何らかの力を持っていると思いますので、市の皆さんと協力して、音楽をより身近に感じていただけるようなことが出来れば嬉しいです。
 私の音楽家としての経験から言えば、音楽の場合は市民の方にその活動が受け入れられるということが一番大事なことだと思います。例えばここのホールは約700 席しかありませんから、直にホールの中に来て下さる方は限られています。ですので、小学生や中学生に対して、水戸芸術館から出向いて、学校のホールや他の大きな施設などで演奏を聴いてもらい、あるいは水戸の学校はブラスバンドが優秀ということで、そうした学生とのつながりができると、そのご家族は、子供たちのことを見ていて、必ず興味を示してくれるだろうと思います。
 今後は、これまで吉田先生が水戸芸術館で実践されてきたことを引き継いで、音楽・演劇・美術の3つが効率よく機能して、館の活動が街の人たちにもしみわたるようになり、身近に親しんで頂ければ、私としては嬉しいし、本望です。

※2013年4月4日に水戸芸術館で行われた就任会見あいさつから抜粋したものです。

小澤征爾館長プロフィールはこちら

1935年、中国のシャンヤン(旧・奉天)生まれ。幼い頃からピアノを学び、桐朋学園で斎藤秀雄に指揮を学んだ。59年にフランスのブザンソン国際青年指揮者コンクールで第1位を獲得。ヘルベルト・フォン・カラヤンに師事した後、61/62年のシーズンには、レナード・バーンスタインのもとでニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者を務めた。トロント交響楽団、サンフランシスコ交響楽団の音楽監督を務めた後、73年から2002年までボストン交響楽団の音楽監督。02年から10年までウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた。

92年から総監督を務める「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」は、15年から「セイジ・オザワ松本フェスティバル(OMF)」として新たなステージへと踏み出した。また00年から若い音楽家の教育を主目的とした小澤征爾音楽塾を開催。05年にはスイスにヨーロッパにおける音楽学生を対象にしたSeiji Ozawa International Academy Switzerlandを設立、さらに11年には、アジア圏の優秀な学生に門戸を広げるためNPO法人小澤国際室内楽アカデミー奥志賀を設立するなど、活動の幅はさらに広がりを見せている。

08年、文化勲章を受章。10年、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団より「名誉団員」の称号を授与される。11年、第23回高松宮殿下記念世界文化賞を受賞。15年、芸能分野で米国の文化に大きな功績を残した人に贈られるケネディ・センター名誉賞を日本人として初めて受賞。16年、第58回グラミー賞にて、小澤征爾指揮『ラヴェル:歌劇〈こどもと魔法〉』(14年発売)が、クラシック部門「ベスト・オペラ・レコーディング」を受賞。同年4月にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員の称号を授与された。

 水戸室内管弦楽団(MCO)では、1990年の楽団創立当初から音楽監督を務めている。13年には、初代館長・吉田秀和の後を継いで水戸芸術館館長に就任。同時にMCOの総監督となり、その運営に情熱を注いでいる。

公益財団法人水戸市芸術振興財団 理事長
森 英恵

まちの中へ、人のこころに

水戸芸術館は、1990年の開館以来、今日まで吉田秀和館長を中心に音楽・演劇・美術それぞれの分野で充実した事業を数多く開催してまいりました。

続きを読む

 ヨーロッパには、高く評価されるような活動をしている文化施設がたくさんあり、それがまちの顔になるとともに、そこに住んでいる人たちが芸術に接することによって、日常にアクセントをつけ生活をエンジョイしている様子がよくみられます。
 日本では、文化施設を核としたまちづくりや芸術を楽しむことを中心にした生活は、まだ一般的ではありませんが、21世紀になり、わが国でも経済一辺倒ではなく、芸術に触れて感性を磨くことが大切だとの考えから、文化政策にも重きがおかれるようになってきました。
 水戸市と芸術館では、いろいろな工夫をしながら、館とまちを結びつけたり、芸術を身近に感じられるような活動を展開していますが、美しい自然と豊かな歴史を持つ水戸に誕生した芸術館を今後もより一層守り育てていくことが、水戸のまちづくりにとってもまた市民生活にとっても重要なことではないでしょうか。
 これからも、当財団は、「まちの中へ、人のこころに」をモットーに、水戸のまちと強く結びついた活動を行い、多くの皆さんにこころから喜んでいただけるような事業を提供し、水戸を日本を代表する芸術文化都市としていきたいと考えています。
 どうぞご支援ご協力下さいますようお願いいたします。

水戸芸術館 初代館長
吉田 秀和

世界に発信する開かれた芸術活動の拠点

この芸術館は演劇と美術と音楽という3つの芸術の分野の仕事が、並んで展開されるようにできてます。こんなものは、日本だけじゃなく、世界中どこへ行ったってないのではないでしょうか。

続きを読む

 芸術というものは、今生きているところから、将来に向かって展望して、これから何を作ることができるだろうかとか、また、ぼくたちの人生、社会というものがこのさきどうなってゆくのだろうか、ということを予感したり、予覚したり、あるいは予告するような仕事をする側面をもっている。この芸術館では、そちらの面を美術が受けもつ。ここで展示されるものの中には、奇妙きてれつなものがあるかもしれませんけれども、それはそれで、ぼくたちの明日のことを示しているのかもしれないし、あるいは明日はこうなってほしくないようにってことをいっているかもしれない。ともかく、ごらんになって下さい。
 鈴木さんの演劇の外形は、非常に独特ですけれども、その土台にあるのは、たいていギリシア悲劇とシェイクスピア、チェーホフ、ベケットというような、世界の演劇の古典といってもよいものです。それを日本のこれまで生き続けてきた舞台芸術、たとえば、能、狂言とか歌舞伎とかの歩き方とか、声の出し方とか、そのほかのものを使いながら、現代人にとって、非常に重要で、さし迫った問題につながるところのひとつの総合体として舞台に展開するという、そういう仕事をしています。これは、古いものを使いながら、それを自分の創造物に転換してゆくという、芸術にとって基本的な働きを示す仕事にほかならない。いや、これこそ芸術の本体だといってもよろしい。
 芸術館は水戸市制百年記念事業の一環として構想されたそうです。百年といえば、日本で、いわゆる洋楽を容れてからもほぼ百年あまり。ちょうど水戸が市になったのと同じ頃、日本でもドレミファでもって音楽をやり、演奏したり、作曲したりする仕事が始まりました。百年間やってきて、どんな意味があっただろうか。もしも、かつて日本で鳴ったことのないような音がここで鳴り、日本人が日本の中にじっととじこもってしまうのでなく、世界に向かって手をひろげて歩いてきた結果が、百年経ったらこうなったんだ、ということになったら、どんなにいいでしょう! それは単に日本が小澤征爾という一人の名指揮者を生み出したとか何とかいう以上の意味をもつのではないか。
 また、ぼくは畑中良輔さん、間宮芳生さん、若杉弘さん、池辺晋一郎さんといった4人のすぐれた音楽家に参加してもらって、委員会をつくり、企画運営をやるつもりです。
 以上はここでは、こういうものを皆さま方に提供するという予告ですが、芸術の仕事の意味は、実はそれだけじゃ終わらないんです。皆さんがここに来て下さって、それを見たり聞いたりして作品と、問答をしたり、批判したり、共感したり、感激したり、そういうことがあってはじめて、芸術というのはひとつの実りを結ぶことになるのです。 もうひとつ、大事なこと。それはぼくらが提供するものを聞いたり見たりするというだけじゃなくて、ご自分もやりたかったら、ここでやっていただく。この芸術館は、水戸の市民のものですから、水戸の市民に当然開放されるべきものです。歌を歌いたくなったら、どうぞここに来て歌って下さい。とにかく、水戸にできたものなのですから、これは水戸の市民の財産です。だから、まず、自分たちのものであるということを感じていただく、そういうふうに仕事をするのはぼくたちの役目です。
 芸術館は、どこの誰に対しても、胸襟を開いた存在にならなければいけないと思います。これが、ぼくの、音楽評論家としての哲学だし、それから、ぼくがここに芸術館の館長としている限りにおいて、水戸芸術館のテーゼとして、貫いていきたいと思うのです。水戸のものだけど、視野を水戸だけに閉ざさないでゆき、水戸を超えたものになろうと心がけ、前進することを怠らない。そうなってはじめて、世界の方でもよろこんで日本を、水戸を受け入れてくれるようになるのです。
 ひとつ、この水戸芸術館を、水戸のものだが、水戸を超えたもの。世界から受信し、世界に発信する開かれた芸術活動のひとつの拠点にしようではありませんか。これが水戸芸術館の原則です。

※これは、1990年3月21日にコンサートホールATMで行われた水戸芸術館開館記念式典におけるあいさつからまとめたものです。

設計者
磯崎 新

芸術館設計に対する基本理念

 馬の背状の地形に発達した水戸の街は、線的な都市構造を持ち、大通り(国道50号線)から 1 本、道を入ると、街の裏側になってしまう。それゆえ、周辺整備また周辺地区の活性化を図るのにもっとも重要なのは、この線的な都市構造を面的な都市構造に変換させることである。
 五軒小学校跡地施設の基本設計にあたって、この目的のためまず考慮されたのは、当敷地を含め、用途地区を商業地区に変更すること、またこうした都市構造の変換のきっかけになりうる「都市広場」を作りだすことである。
 ここで提出されている広場は、諸施設によって囲まれていながら、様々な方向に開かれた構成になっているが、それは、こうした「都市広場」が敷地周辺いずれの方向からでも人々を招きいれるような開放的な都市的空間であると同時に、一度なかに入れば、落ち着きを人々に与える空間である必要があるからである。
 また、この広場は、平面として約 60メートルを一辺とする正方形の広場を中心に、様々な特性をもったコーナ一をその周りに配する。それらはここに市民を招き入れるための仕掛けである(親近性)。ここでは、たとえば、水を主題とした半円形の「カスケード」、土を主題とした芝生の築山、木を主題とした大きな木陰を生む3 本の大木などの仕掛けが回廊でつながれている。これも、「都市広場」として広場がなりたつために、そこが催し・祝祭の時には、多くの人を集められる都市の「大広間」になると同時に、日常時にも人々がそこで憩うために集まってこられるような場所を提供するためである。
 さらに、広場の周りに巡らされた回廊の屋上や「カスケード」の周りの彫刻庭園は、そこから地上の広場を見下ろすことができる。これは、「都市広場」のひとつの舞台として、あるいは客席として見立てたもので、ここに集まる市民相互の視線の交錯をよりいっそう豊かにする(劇場性)。
 塔は都市のスカイラインを生む重要な要索である。それは、遠望されるとともに、その上から展望するという二重の役割をあたえられている。その骨組みとしては、 もっとも安定した構造体である正四面体を組合わせることによって、三重螺旋を生みだし、その天に向かって無限に伸びていく形態によって、未来を象徴している(幻想性)。ねじれたそれぞれの面は、光線を微妙な具合に受け、刻々と表情を変える。さらに、この塔は、生物の遺伝子の構造である二重螺旋との関連を象徴するなど話題に富むものになろう(寓意性)。「都市広場」をとりまく施設は、芸術館である。それは、芸術・文化から美術、音楽、演劇と分岐したものを単に寄せ集めたものではなく、芸術・文化の根本にかえって一体になったものとして構成されていると同時に、使われ方もばらばらでなく、常に連続したひとつの施設となるようにする。劇場、コンサート・ホール、展示室などは関連してはいても、独立した空間として感知できるように、そして、そのなかに入ると包みこまれ落ち着ける雰囲気を生みだせるようなデザイン上の配慮がなされる(胎内性)。そして、水戸の町並みに対して、建物を突出した量塊にならないようにするために、人間的なスケールで建物の形を分節し、それらのアンサンブルが生まれるように考慮している。
 建物の仕上げとしては、建物の地面に近いところに、石などの重厚な索材を用い、上部では金属などの現代的な素材を用いたい。これは、塔が過去と未来を両義的に表現しているように、施設全体としても過去(土着) と未来(飛躍)がたとえ矛盾しながらでも共存している様を表現するためである。