水戸芸術館とはAbout Art Tower Mito

水戸芸術館―まちの中へ、人のこころに―

水戸芸術館は水戸市制100周年を記念し、平成2年(1990年)に開館した複合文化施設です。特徴的な塔を持つこの建物の設計は、世界で活躍する建築家の磯崎新氏が手がけました。内部には、コンサートホールATM、ACM劇場、現代美術ギャラリーの3つの独立した施設があり、音楽、演劇、美術の3部門がそれぞれに、自主企画による多彩で魅力あふれる事業を展開しています。また地域の文化活動の拠点として、市民と連携して行う様々な企画も実施しています。
これからも水戸芸術館は、まちの中にその活動が広がり、人のこころに深く感動を与えることを目指し、活動を続けてまいります。

水戸芸術館の運営理念

展示風景:「ゲルダ・シュタイナー&ヨルク・レンツリンガー ー力が生まれるところ」撮影:木奥恵三

新しい芸術文化を創造する芸術館

芸術館は、既成の評価、ジャンルにこだわらず
独自の視点に基づいて活動を行い
未来へ向けて新しい芸術文化を創造する。

「水戸芸術館室内管弦楽団 第1回ヨーロッパ公演(1998年)」
ウィーン(ムジーク・フェラインザール)撮影:大窪道治

国際的な視野にたって芸術文化の交流を行う芸術館

芸術館は、国内はもとより国際的な視野にたって
芸術文化の交流を行い
市民の文化意識の向上と
日本の芸術文化の振興に貢献する。

楽しみながら考える芸術館

芸術館は、幼児から高齢者まで
構えることなくいつでも立ち寄れ
それぞれが楽しみながら芸術文化に親しみ
その意味を考えられるような場となる。

市民の芸術文化活動の拠点となる芸術館

芸術館は、市民の芸術文化の創造及び発表の機会の提供を行うなど
市民の芸術文化活動の拠点となる。

都市の活性化に寄与する芸術館

芸術館は、市民の文化的創造の中心としてはもとより都市の核として各種機能また、まちづくりと連携して活動を展開し都市の活性化に寄与する。

水戸芸術館の取組み

多彩な自主企画

音楽、演劇、美術の各部門が、コンサートホール、劇場、現代美術ギャラリーの各専用空間を最大限に活用し、国内外で活躍するアーティストによる多彩な企画事業を制作・展開しています。

創作体験・学びの場の提供

観客、聴衆として来館するだけでなく、創作活動に参加したいという人の意欲に応える事業や、芸術を学びたいという意欲を喚起するための手立てを、様々に工夫し、実施しています。

地域の人々との連携

地域の芸術家が出演・出品する事業や、地域を舞台にした公演・展覧会などを様々な機関・団体等と協働して行うことによって、街なかにアートを介した繋がりやにぎわいを創出しています。

運営の特色

自主企画を中心に

音楽、演劇、美術各分野の専用空間が空洞化しないよう、自主企画による事業を中心とした運営を行います。

専属の楽団と劇団を編成

館から発信する芸術文化活動を象徴するものとして、専属楽団「水戸室内管弦楽団」「新ダヴィッド同盟」、専属劇団「Acting Company Mito=ACM」を編成しています。

財団による運営と市予算1%の管理運営費

芸術館構想を実施するに当たり、水戸市は「財団法人水戸市芸術振興財団」を設立し、芸術館の管理運営について、毎年度予算の1%を充てるという方針を立て、その活動を保障しています。 

水戸芸術館の沿革

 水戸芸術館は中心市街地の中の市立五軒小学校(1985年移転)の跡地に市制100周年記念施設として建設され、平成2年(1990年)3月22日に開館しました。
 当館の計画は、当時の佐川一信水戸市長が水戸を日本一の文化都市にしたいと考え、その意気を象徴する施設の建設を構想したところから始まりました。館長には、音楽を中心に長く我が国の芸術評論を牽引してきた吉田秀和氏を迎え、音楽・演劇・美術の各部門に専任の芸術監督を配するなど、佐川市長は建物だけでなく、運営面における創造性の確保にも力を注ぎました。
その姿勢や仕組みを開館以来変えることなく、当館は長きにわたって独自の企画を国内外に向けて発信し、また地域の芸術活動の拠点としてもその活動を広げてきました。
 2011年3月の東日本大震災により、建物の一部やパイプオルガンが被害を受けましたが、多くの皆様からいただいたご支援・ご協力により、同年5月から復旧工事を開始。工事が完了した施設から順次事業を再開し、震災の翌年3月、パイプオルガンの復旧工事竣工によって、当館の復旧工事は全て完了しました。その日エントランスホールに響き渡った美しく荘厳なパイプオルガンの音色は、水戸芸術館のスタッフ、そして集まった市民の皆さんの心の中に今も深く刻まれています。
 2012年5月、吉田秀和初代館長が逝去し、後任として、開館当初から水戸室内管弦楽団の音楽顧問を務めてきた小澤征爾氏が、2013年4月より新館長に就任しています。
 水戸芸術館はこれからも、芸術が人々の心に働きかけ、そのことが人々の生きる力につながると信じて、活動を続けてまいります。

 田園、太陽風、目にうつる広大な水のひろがり。県都でありながら、美しい自然、豊かな風土にめぐまれた水戸市に、水戸芸術館が七年にわたる構想を経て、平成2年3月22日開館した。
 芸術館が、美術館でもコンサートホールでも演劇ホールでもない、三大芸術の総括としての「芸術館」として決定された背景には次のような事情と経過があった。
 まず、文化の基礎をなす、「言語」の美学としての演劇を、シェイクスピア中心に上演してはどうかという考え方があった。また、県立近代美術館と緊張・調和しながら、相乗効果をねらうという発想から現代美術ギャラリーが検討された。さらに、水戸には良質で適正規模のコンサートホールがなく、市民の文化施設への期待は、コンサートホールに相当程度集まっていた。  かかる状況は、素直に「芸術館」構想へと連なってくるわけであるが、それは決して個別分野の接ぎ木的なものではなく、具体的に物象化されるなかに普遍的なものを表現する技術、知的な活動としての芸術性を追求しながら、集合化し統合化する芸術活動でもあるという点で、従来型の文化施設とは異なっていた。
 国際的な視野に立って新しい芸術文化を市民と共に創造する芸術館は、我々が芸術文化の粋を集める壮大な計画である。
 磯崎新氏設計によるアート・タワー・ミト( ATM) は、シエナの搭のように、水戸市民が新しい街づくりへの決意を宿したものであり、街並みの変化のシンボルとなろう。
 そして芸術館は、水戸市民の精神史に新しい1 ページを刻み、結果としてわが国の文化状況への一つの提言になると考える。

水戸芸術館の構想 元水戸市長 佐川一信

1975 3月 31日 水戸市立五軒小学校の狭隘に伴う移転のため、県との間において県有地(金町3丁目、旧警察学校跡地)と市有地の交換覚書締結
1981 11月 「五軒小学校跡地整備計画策定調査」実施
~82 3月 (委託先:計画技術研究所)
1983 6月 24日 「五軒小学校跡地利用調査特別委員会」を水戸市議会に設置(第1回58.7.20~第26回62.3.2)
1984 2月 跡地利用について市内各種団体の意見聴取、市民の意見
~85 10月 募集(提出意見29件)
11月 15日~30日 市民アンケート実施(対象者15,242人、回答率62.3%)
12月 1日 「五軒地区市民連絡協議会」設置
1985 2月 13日 「五軒小学校跡地活用委員会」設置(第1回60.2.13~第6回60.6.22)
4月 1日 五軒小学校移転開校
10月 29日 「五軒小学校跡地利用懇談会」発足(第1回60.10.29~第6回61.3.31)(委員長:田村明、委員:田島学、谷口吉生、田村明、勅使河原宏、納賀雄嗣、蓑原敬)
1986 1月 30日 シンポジウム「五軒小学校跡地利用を考える会」開催
7月 「五軒地区市民連絡協議会」開催、関係団体へ基本方針(案)発表、
~8月 基本方針(案)市民発表会開催
9月 6日 第21回五軒小学校跡地利用調査特別委員会開催
基本方針(案)了承
9月 19日 「五軒小学校跡地施設設計者選定委員会」設置(第1回61.9.20~第8回61.12.1)
12月 8日 五軒小学校跡地施設基本設計業務委託契約締結
(委託先:磯崎新アトリエ)
1987 2月 20日 第25回五軒小学校跡地利用調査特別委員会開催
基本設計素案発表
2月 27日 磯崎新講演会 基本設計素案を市民に説明
3月 15日 市広報誌「広報水戸」に基本設計素案掲載
3月 31日 基本設計終了
4月 1日 「芸術館開設準備室」設置
6月 19日 「市制百周年記念事業建設調査特別委員会」を水戸市議会に設置(第1回62.6.22~第22回平成元.9.8)
7月 31日 五軒小学校跡地施設実施設計業務委託契約締結
(委託先:磯崎新アトリエ)
9月 10日~23日 「水戸芸術館プロジェクト展」開催
10月 1日 「芸術館周辺整備事業推進班」設置
10月~11月 芸術館周辺の街づくり計画及び都市計画変更(案)等の説明会開催
11月 21日 第1回芸術館運営会議開催(代表委員:吉田秀和 委員:諸井誠、中原佑介、鈴木忠志、磯崎新、関敬義、森田義之、吉田光男)
12月 3日 水戸市都市計画審議会開催 都市計画(案)了承
12月 28日 茨城県都市計画地方審議会開催 都市計画(案)決定
1988 3月 2日 建設工事着工
3月 31日 「財団法人水戸市芸術振興財団」設立
4月 23日 第1回水戸芸術講演会開催
吉田秀和「セザンヌは何を描いたか」
5月 23日 水戸市芸術振興財団第1回理事会開催(理事長:江戸英雄 副理事長:吉田秀和、吉田光男)
5月 26日 第2回水戸芸術講演会開催
鈴木忠志「日本の文化状況:パートI」
5月 29日 水戸芸術館ウォールペイントプロジェクト開催
6月 18日 第3回水戸芸術講演会開催
鈴木忠志「日本の文化状況:パートII」
7月 23日 第4回水戸芸術講演会開催 中原佑介「現代の彫刻をめぐって」
8月 11日 第13回市制百周年記念事業建設調査特別委員会開催
「(仮称)水戸芸術館運営基本構想(案)」説明
10月 25日 広報誌季刊「水戸芸術館」創刊
10月 25日 第1回水戸芸術館音楽部門企画運営会議開催(委員:吉田秀和、畑中良輔、間宮芳生、若杉弘、池辺晋一郎)
12月 2日 水戸芸術館長・音楽部門総監督に吉田秀和、演劇部門総監督に鈴木忠志、美術部門総監督に中原佑介就任
12月 2日~3日 水戸芸術館開館プレ企画 劇団SCOT水戸公演「王妃クリテムネストラ」
1989 2月 11日~23日 「水戸芸術館プロジェクト展」開催
2月 25日 季刊「水戸芸術館」第2号発行─美術特集─
4月 20日 季刊「水戸芸術館」第3号発行─演劇特集─
4月 27日~28日 水戸芸術館開館プレ企画 鈴木忠志演出「リア王」
4月 28日 水戸芸術館ACM劇場専属劇団
「Acting Company Mito=ACM」記者発表
8月 20日 季刊「水戸芸術館」第4号発行─音楽特集─
8月 24日 第20回市制百周年記念事業建設調査特別委員会開催
開館記念事業説明
8月 24日 水戸芸術館音楽部門記者発表
9月 28日 水戸芸術館美術部門記者発表
10月 18日 第1回水戸芸術館広場活用会議開催
12月 4日 泉町・芸術館周辺地区更新基本計画策定調査委員会発足
1990 1月 25日 水戸芸術館開館記念事業記者発表
2月 1日 開館記念事業チケット発売開始
3月 2日~4日 水戸芸術館施設内覧会実施
3月 21日 水戸芸術館開館記念式典挙行
3月 22日 水戸芸術館開館
[美術部門オープン]開館記念展「作法の遊戯─'90年春・美術の現在」Ⅰ期3.22~5.6 43日開催 入場者数18,130人
3月 23日 [演劇部門オープン]ACM劇場開館記念
劇団ACM公演およびオープニングフェスティヴァル
3.23~5.13 34公演 入場者数10,248人
3月 25日 [音楽部門オープン]コンサートホールATM開館記念
コンサート3.25~5.14 24公演 入場者数11,890人
[塔]入場者数3.22~5.14 36,275人
8月 28日 水戸市芸術振興財団「特定公益増進法人」に認定

 東日本大震災により被災された皆様方に心よりお見舞い申し上げます。
 今度の災害の全体として、僕が持った印象は、皆が、あんなに大きな津波がきて、あんな巨大な地震が来るっていうのは想定外だって言ったけど、僕はもちろんそうなんだけど、でも日本にも何人か学者もいるでしょうしね、それから想定外って言ったって、あれだけの危険なエネルギーの源泉を、日本のこの狭い国土に、やたらと建てることについては、やっぱり国民の生命と財産の安全について責任を持った上でした仕事だろうに、想定外っていうことで間に合わせるような気風を見ていると、その人たちを責めるっていうよりも、やっぱり僕たち日本人全体として、想像力が、貧弱だったのかなと思います。
 僕は、芸術の仕事の1つは、目の前に見えているものを契機として、あるいは目に見えないものを契機として、ものごとを想像する力、そしてそこに、今までなかったものをこしらえることだと思う。それは明日になったら無くなるかもしれないけど、誰も夢見たことのないようなものを作って、一瞬間でもいいから出現させる、それが芸術の根本的な仕事の重大な1つだと思うんですね。だから、原子力発電所の仕事について想定外だって言われること、それは芸術に関する仕事をしている僕たちにとっても、本当はひとごとじゃないんです。
 今までの20年間に、水戸芸術館が果たした仕事っていうのは、僕はそれなりに評価すべきものがあったと思う。けれども、もう少し先へ行くには、こういうことがあり得るんじゃないかなということを想像する。つまり、さっきの、想定外の貧しさっていうのを、人の欠点としてだけつかまえるのではなくて、これからは、もっと豊かなものを培うための仕事をしなければならない。
そして、まずは近いところから、水戸の市民に、芸術館は何をやってあげられるだろうか、そのことについても、考えていかなくてはならない。そしてその実現に向かって進んでいかなくてはならないと思うのです。

※これは、2011年4月1日に会議場で行われた水戸芸術館職員に向けた話からまとめたものです。

 東日本大震災により被災された皆様方に心よりお見舞い申し上げます。
 僕は、震災があろうと原発の問題があろうと、芸術が人間の心に関わる在り方というのは、本質的には変わらないと思います。音楽家は人に何かを働きかけようと思ったら音楽を通じてやる。それは地震があった時も無かった時も、戦争があった時も無かった時も、他にやりようがない。美術家も同じです。ただこのような異常な、常識で考えられないような程度の災害が起こった場合には、音楽家が音楽の中で表現すること、美術家が美術を通じて、演劇家が演劇を通じて言いたい事、そういうものの訴えかけの緊張度は高まると思います。けれども芸術が何であるかということの本質的なところは、どんなことがあっても変わらない。
 ただ、今度もこういう事件が起こってみると、幸いなことに音楽部門で言えば、芸術館のステージで音楽をやってきた演奏家たちは、「僕たちにも何かやらせてくれ。チャリティーコンサートでも何でも僕たちはやる気持ちがあるから。」と言ってきてくれました。そういう意味では、ここに出演する芸術家たちと芸術館との関わりあいの仕方で、音楽家の、あるいは他の芸術家たちの積極性というのがとても感じられましたね。7月に水戸室内管弦楽団が、水戸芸術館での演奏会の後に東京のサントリーホールで、1日に2回演奏会を行うなんていうのは、少なくともクラシックの演奏家の、ことにアンサンブルの非常にきめの細かい仕事をやる人たちにとっては考えられないようなことなのですが、これが僕たちから働きかけるのではなくて、音楽家の方からそういうのをやろうという意志表示があって、それではといって芸術館のスタッフが仕事のスケジュールや場所を決めたわけです。
 幸いなことに、この芸術館があって、それから、水戸では道路に亀裂が入ったり、市役所などにもいろいろな災害があったにも関わらず、水戸の市役所の方では芸術館の損害に対して、それを修理する予算を出してくれた。僕はとっても、大変失礼な言い方かもしれないけど、水戸ってすごいなと思いました。
 今年度(2011年)の事業は全てが復興支援事業という訳ではないけれども、結果として復興の支援に役立つことを僕は願っているし、僕だけじゃなくて芸術家たちはみんなそう思っていると思います。音楽家は音楽をやる、それが人の心に、生きる力に役立つだろうと信じているから、音楽家になったんですよね。だから、彼らは自分が活動することが復興支援のどこかで役立つことを望んでいると思います。

※これは、2011年5月27日に会議場で行われた平成23年度水戸芸術館事業計画記者説明会における発言からまとめたものです。